新年早々。石松の最期 を語らせてもらいまする。

旧ブログより(2012年01月09日記入)

森の石松/中村勘九郎(中村勘三郎)/映画年始どすなぁ・・・
なんでかわからんけど時代劇ばっかり見てました。
その責任は、清水次郎長伝、通しでやるんですもん!!
見ますがな!!

やっぱり「石松の最期」のくだりはいいですなぁ。
浪曲や講談をあまり聞かないという人でもよく知っている
「石松三十石船道中」=くいねぇ、くいねぇ、スシ食いねぇ。
のくだり、あれはその後の、
「閻魔堂の欺し討」「石松と七五郎」「石松の最期」の入り口なんですね。

竹脇無我/清水次郎長伝/テレビ時代劇船の中で、身受山鎌太郎の噂を聞いた石松は、金毘羅様へのお参りの帰り、
鎌太郎の器量を見てやろうと、草鞋を脱ぎます。
身受山鎌太郎、なるほど噂に違わぬ立派な男で、
石松を歓待したうえで、次郎長の恋女房 お蝶の葬儀に行けなかった不義理を詫び、
100両もの香典と、さらに石松の足代に30両を渡します。

素敵な男と出会うとうれしくなる石松は、1日も早くこの香典を次郎長に届け、
鎌太郎の漢侠を伝えようと道を急ぐのですが、
途中で、石松を兄ぃと慕う都鳥兄弟の家に草鞋を脱ぎます。
この都鳥一家は評判が悪い男ですが、そこは人の好い石松。
兄ぃ、兄ぃとヨイショされ、舌も滑らかになり、道中の一部始終、
鎌太郎から預かった香典と足代のことも話しています。

ちょうど金に困っていた都鳥。
鴨がネギを背負ってきたとばかりに、罠を張ります。
「石の兄ぃ、すまねぇが、その金、1日、いや一晩だけ貸してくれねぇか・・・
 明日には、弟が金を受け取って帰ってくるのだが、
今日どうしてもいるんだ。たのむよ。兄ぃ・・・」
なにせ、百両。都鳥の評判が悪いこともあり、一度は断る石松ですが・・・
「いや、悪かった。いいんだ、いいんだ、兄ぃ。
 忘れてくれ。いくら石の兄ぃでも聞けることと聞けないことがある。
 悪かった、悪かった…」
謝る都鳥を見ているうちに、石松、
「ひ、一晩だ、だけだぞっ。あっ明日にはか、必ず返すんだぞ」
金を渡してしまいます。

森の石松/中村錦之助/映画あァ~あ・・・
です。騙されました。
もちろん、金は返りません。かえす予定もありません。
石松は何度も金を返せと言いますが、もともと借りパク狙いの都鳥、
言を左右に返済を引き延ばします。
とはいえ、相手は清水一家で一二を争う暴れ者、森の石松。
どないすんねぇ・・・と思っていたところに、
次郎長を仇と狙う保下田の久六の身内が現れます。

この保下田の久六というのは人間のクズみたいな奴。
命の恩人である次郎長たちを代官所に売り渡し、
次郎長をかばった深見村の長兵衛は獄死。
次郎長の女房、お蝶は病を悪化させ逃亡中に病死します。
保下田の久六は結局、次郎長たちに討ち取られるのですが、
このとき、保下田の久六一家の生き残りが、石松の命を狙って現れたわけです。

都鳥にとっては、まさに棚からぼた餅。
さっそく「金を返す」と石松を閻魔堂に誘い出し、よってたかって襲います。
さすがの石松も多勢に無勢・・・
さらにこの道中、喧嘩はご法度と次郎長と堅い約束をしています。
斬られながらも、刀の封印は解かないのです。
命のほうが大事じゃろうがぁー!!!!

でも、石松は化けものじみた生命力の男。
なんとか、逃げ出し、友人の小松村の七五郎の家に逃げ込みます。
応急手当をしてもらい、すぐに出て行こうとする石松を、
七五郎と七五郎の女房のお民(お園とする場合もあり)が止めます。
「俺は命なんていらねぇ。騙されたままじゃ帰れねぇ!」という石松の頬を、お民がパチーン!

「石さん! あんた、なんか間違ってんじゃないかい。
あんたの命は次郎長親分に預けたんじゃないのかい。
ってことは、あんたの命は次郎長親分のものだろう。
あんたが、どうこうできるもんじゃないんだよ!」

石松、これを聞いて、思いとどまりますと、都鳥たちが石松を捜しにやってきます。
ここでのお民の啖呵が「お民の度胸」という次郎長伝の一節の見どころです。
このへんもええんですけど、また今度。

さてさて、都鳥をいったんはやり過ごしたのですが、いずれまたやってくる。
このままじゃ、七五郎やお民にも迷惑がかかる・・・
絶対、生きて次郎長親分のもとにたどり着く、と約束して石松は、
七五郎たちがとめるのを振り切って、清水港へ向かうのです。

しかし!!!

例の閻魔堂にたどり着くと、向こうから都鳥たちの声が聞こえます。
あわててお堂の中に隠れる石松。
都鳥や久六の子分たちはお堂の前に腰を下ろし、一息つくと、
口々に石松をあざけり始めます。

清水の暴れん坊などというが、こそこそ逃げ回る卑怯者だとか、
あそこまで簡単に人にだまされるのはよっぽどの馬鹿だとか・・・

でも石松は耐えるんですよね。
約束したから・・・
次郎長親分と、道中、喧嘩はしないと約束したから。
七五郎やお民と、かならず親分のもとに帰ると約束したから。
耐えるんです。
歯噛みして、悔し涙を流しながら、長ドスを握りしめて耐えるんです。

そしたら聞こえたんです。
「あんな馬鹿、子分にしてるようじゃあ、次郎長ってのも大馬鹿に違いねぇ」
「ちげぇねぇ、ちげぇねぇ。大馬鹿の卑怯者。
   次郎長なんて、世渡り上手の大馬鹿もんよぉー!」

もう駄目だったんですよ、石松は。
暴れ者で、親にさえ見放された自分を拾って、愛してくれた親分。
本当の親以上に自分を大切にしてくれた次郎長が、自分の失敗のために悪しざまに罵られている。
辛くて、苦しくて、悲しくて、やりきれなくて、彼はお堂の外に飛び出すんです。
封印したままの長ドスを抱えて。

これが、次郎長の子分の中でもっとも愛されている森の石松の最期です。



昨年のニュースを見ていると、日本には賢い人、多いですよね。
本当に理が通っていて、損得にも目端がつく。
でも、それって人間なんだろうか・・・
石松の最期を思うとき、人間の命の在り方を感じることがあります。
理屈ではなく、心が望む。
それを制御するのが人間だけど、制御できない心があるのも人間だと思います。

浪曲や講談だけでなく、ドラマにもなっている名シーンです。
機会があれば、ぜひ楽しんでください。


<参考>
はやわかり!清水次郎長伝