忠臣蔵『南部坂 雪の別れ』を語ってみる

忠臣蔵を語ってみる 時代劇&歴史ネタ

京都にも雪がちらほら降り始めている。北海道や北陸の方々のご苦労には比べられないが、それでもけっこう寒い。
そのうえ『王将』の値上げ情報が入り、財布も寒く、心は冷え込むばかりだ。

今日は音楽ネタをと思っていたのだが、雪にちなんで『忠臣蔵』の1シーンをご紹介したいと思う。
先日『忠臣蔵』の概要を紹介したが、あれはほんま大筋で『忠臣蔵』の面白き=見どころは銘々伝と、講談や浪曲、映画で取り上げられてきた名シーンにある。

南部坂 雪の別れ


 元禄十五年十二月十四日。大雪の日。旧赤穂藩国家老・大石内蔵助は赤坂・南部坂に庵を編む瑤泉院のもとを訪れていた。今宵彼を筆頭に四十七士、揃って吉良家に討ち入る覚悟、亡き浅野内匠頭の妻で今は夫の菩提を弔う瑤泉院に最後の別れを告げに来たのだ。
約2年。へっぽこ侍と嘲られ、根性なしと罵られ、多くの仲間を貧困で失いながら、あるときは下人を装い、怪しい奴と蹴られ殴られ、内職で生計をたて、愛する人をと別れ、今日の準備を進めてきた。この日のために。
その喜びを亡き殿を今も愛し続ける瑤泉院と分かち合い、出陣の手向けとしたかった。

しかし!
戸田の局に迎えられ、瑤泉院のもとへと案内される途中、内蔵助は見知らぬ女中に気がついた。
只者ではない・・・しかと見当がつくわけではないが、万に一つも本日の討入のこと、吉良側にもれてはならぬ。
これまでの皆の血の滲むような苦労を思う内蔵助。

 座敷では瑤泉院がはしゃぐような笑顔で、しかし権威をたたえて内蔵助を待っていた。
「内蔵助。息災か。皆は元気か。」

彼女は信じていた。理不尽に死を賜った夫の恨みをきっと内蔵助たちが晴らしてくれる。
時間が必要なのは仕方がない。けれど夫があれほど信頼した内蔵助。よもや殿の御恩を忘れまい。

「私もさる遠方に仕官が叶い、江戸を去ることと相成り、ご挨拶に参上いたしました。」
内蔵助は言った。
殿の敵討はしないのか?と尋ねる瑤泉院に、笑いながら、
「仇討など滅相もない。悠々自適、遊び惚けて暮らしてまいりたく存ずる」
「ここにはだれもおらぬ。本心を聞かせてくだされ。大石殿」
戸田の局が横合いから口を挟むが、内蔵助は大きくかぶりをふるだけだ。

「内蔵助! そちがこのような卑しい男とは知らなんだ。
殿はそちのような輩を無二の忠臣と恃んだまま、あの世に旅立たれたのか。
もうよい。下がれ。いずこともへと行ってしまうがよい!」

瑤泉院が席を立った後、戸田の局は再び内蔵助に真意を尋ねるが、内蔵助は笑って懐から、袱紗に包まれた1本の巻物を取り出した。
「最後の最後・・・怒らせてしまいましたな。
これは赤穂城開城の折の目録でございます。
折を見て必ずや・・・必ずや瑤泉院さまにお目通しいただきたい。」

 あの忠義の臣が・・・。受け取った袱紗包みを戸棚に仕舞っておくように申し付けた戸田の局は、隣室で大きく肩を落とした。
人の心とは、このように弱いものなのか。変わるものなのか・・・。

ガタッ! その時、座敷で物音がした。

見れば、新参の女中が戸棚の中から、あの袱紗包みを盗み出そうとしている。
「であえー! 曲者じゃあ」
いうより早く戸田の腕が女中を取り押さえる。奥方の身の回りの世話をしつつ、警護の役割も果たす、当時の武家娘には当然の手習いだった。

「あぁーっ!!!」
思わず戸田が悲鳴のような声を上げた。女中の手から転げ落ちた袱紗の中から巻物が飛び出し、コロコロと開いていく。そこには・・・
名前が書いてあった。
大石内蔵助良雄、大石主税良金、原惣右衛門元辰、片岡源五右衛門高房、堀部弥兵衛金丸、堀部安兵衛武庸・・・陪臣である寺坂吉右衛門信行まで四十七名。
決意の連判状だった。

戸田の悲鳴を聞いて何事かと座敷へ舞い戻った瑤泉院はそこに呆然と立ち尽くした。
巻物を手に取ると、一人一人の名を声をあげて呼んだ。
四十七人。
四十七人もの男が、家族を捨て、幸せを諦め、自分の愛したもののために死んでくれるというのだ。

「内蔵助、内蔵助・・・許してたもれ。
浅はかな女でした。
私の浅はかさゆえに、あたら忠義の侍をあしざまに罵ってしもうた。内蔵助、内蔵助・・・」

もうすでに内蔵助の姿は庵からは見えなかった。


と少し長くなりましたが、『忠臣蔵』の名場面『南部坂 雪の別れ』をお楽しみいただきました。
もっと迫力ある内容は、映画や浪曲、講談でお楽しみください。
それではそれでは。