池波正太郎先生の時代小説中、小生の一オシ、『鬼平犯科帳』シリーズ。鬼平こと長谷川平蔵の生きざま、立居振舞に思わず憧れる人は私だけではないだろう。
人間はだれしも、悪にも善にもなる存在である。悪人の中にも善があり、善人の中にも悪がある。鬼平はその事を誰より理解しつつ、それでも悪に対し、敢然と否定し、立ち向かう。そして悪を毅然と裁きつつも、ひっそりと優しさと配慮を施す。「優しくなければ男じゃない。強くなければ生きていけない」という言葉がある。時に対立する優しさと強さである。これを貫くには“覚悟”がいる。すべてをひっかぶる覚悟である。
正直、人間はこうは生きられない。私も含めほとんどの方は、鬼平に憧れ、覚悟しきれない自分に悩み、それでも絶望せず懸命に生きている。同心であり、密偵であり、江戸の民であり、もしかしたら道を踏み外したす盗賊たちである。盗賊たちが抱える闇、生きざまや悩み、苦しみ、葛藤、それは私たちの今かもしれない。 『鬼平犯科帳』シリーズには多くの人生が描かれる。「どんな自分を生きるか」、鬼平犯科帳はいつも、それを問いかけてくる。鬼平犯科帳のの朗読CDお楽しみください。
『鬼平犯科帳』と並ぶ池上正太郎先生の人気シリーズ『剣客商売』。この『剣客商売』の主人公は、秋山小兵衛という無外流の老剣客だ。妻は孫ほども歳の離れたおはるだが、前妻との間に大二郎という息子がいる。
『剣客商売』の魅力は、経験が生む人間の深み、味わいであろう。近年、日本は“老い”に対し否定的になった。まるで“老い”が巨悪の中心にあるかのような扱いだ。しかし、よく周りを見てほしい。あなたの会社や趣味仲間、商店街など地域団体で、この人がいるとうまく治まる、そんな年配の方はいないだろうか。それが経験であり、深みだと私は思う。凄腕の剣客である大二郎が、自分は父、小兵衛に敵わないと嘆息するシーンがある。それは剣の腕だけではない。人として、人間の器や経験において、大二郎は「自分はまだまだだ」と自戒するのだ。
年を経るなら、小兵衛のように、失ったものに見合うだけの経験と深みを手に入れたいと思うのは、私だけではないだろう。「俺はまだまだだ」そう自分に喝を入れてくれる『剣客商売』を朗読CDにてお楽しみください。
テレビ時代劇『必殺仕掛人』『必殺仕置人』『必殺仕事人』など必殺シリーズの翻案となった『仕掛人・藤枝梅安』シリーズの朗読CDシリーズ。『仕掛人・藤枝梅安』の原点となった作品『闇は知っている』の朗読CDも発売されている。悪人には三段階あるという、一番下が法を破る悪人、二番目が法の網をかいくぐる悪人、最も巨悪は自分に都合の良い法を作る悪人だという。法で裁けぬ悪を討つ、などといえば聞えがよいが、所詮は自らも悪である。悪とわかって悪に堕ちる、これも“覚悟”がいる。 人を殺せば畜生道だ。『仕掛人・藤枝梅安』につながる『闇は知っている』はけっこうグッとする作品ではないだろうか?
数多くの時代小説、テレビ時代劇や時代劇映画の原作小説を遺された池波正太郎先生。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』など江戸の風情、情緒を描きこんだ時代小説が有名だが、その他にも多くの名作を遺している。 池波正太郎氏が遺した時代小説、歴史小説の朗読CDと、池波正太郎氏ご自身による講演CDも紹介・販売。時代小説や歴史小説を書く方は、歴史上の人物を個性的な視点で語られることが多い。深く学ぶうちにその人となりに肉薄するからだろう。
◆ おせん / お千代 《朗読》松谷有梨