旧ブログより(2012年03月31日記入)
音楽の教科書がずいぶん変わってきているらしい。
今年はAKB48や、コブクロ、いきものがかりなどがけっこう多く掲載されているという。
もちろんAKB48やコブクロなどの曲が、クラシックや唱歌より劣る、などという気は全くない。
個人的にはコブクロやいきものがかりの曲はよく聴くし、
AKB48にしても、PVなどを見ていると楽しい気分になってくる。
少し古いがフォークソング世代のメッセージソングは、
押しつけの文科省制定曲よりよっぽど私たちの心に沁みこんでくる。
ただ・・・! である。
教科書に載せるべき曲なのだろうか、ということである。
元来、音楽や美術という授業はなんのためにあるのか?
”教養”をつけるためではないだろうか?
英語や国語、数学などと異なり、美術や技術、音楽というものはそれほど実用的な科目ではない。
作曲家や演奏家になりたいものは、自分で勉強したり、専門の学校に行くわけで、
学校の先生の教えるレベルなどでは満足できない。
”教養”は知恵とは異なり、決して人生にプラスに働くとは限らない。
知恵は、お金儲けに結びついたり、人生を要領よく渡れたりさせるが、
教養は邪魔になったり、変なプライドになってしまうこともままあることだ。
人によって異なるご意見があることだろうが、私は”教養”の効果とは、
多様性ある視点、広い視野だと思っている。
授業として様々な音楽に接してもらうことで、通常だったら出会わない、
接することがなかった音楽ジャンルも聴くことになるだろう。
クラシックやジャズはともかく、タンゴやハワイアン、純邦楽などを
好き好んで聴く若者は少ないはずだ。
しかし聴けば、そういう音楽に興味を持つ人も出てくるだろうし、
少なくとも、そういう音楽もあることを知ることはできる。
音楽だけでなく、人の好みも趣向もいろいろだと実感できることが、
”教養”のなによりの効果なのではないだろうか?
今、日本の教科書は、子供たちが喜びそうな曲を選んで教科書に載せたり、
ヒップホップダンスを体育の必修にしようとしている。
しかし、はっきり言えば、学校の先生が無理やり、これらに取り組んでも、
カラオケやダンスが大好きで、閑さえあれば、必死になって楽しんでいる子供たちに
勝てるはずがない。馬鹿にされるのがオチではないだろうか。
本当に個人的な意見であるが、無理する必要はないような気がする。
音楽の歴史や、指揮者によって同じ曲でも全然異なる雰囲気になることなど、
より音楽を楽しんでもらうために、こどもたちに伝えたいことはたくさんある。
迎合することが基本方針というような、恥ずかしい発想はできればやめにしてもらいたい。