旧ブログより(2005年09月11日記入)
わかっていないといわれるかもしれない。
秀吉死後の混乱~天下分け目の関ヶ原~石田三成の処刑までを、
空前絶後の豪華キャストで描いた司馬遼太郎原作のこの大作。
この作品の名場面はほかにもある。
しかしあえて、私は『関ヶ原』の一番のお奨めとして、
第2話『友よさらば』の最後のシーン、
大谷刑部が石田三成とともに挙兵することを決意するシーンを紹介したい。
徳川家康(森繁久彌)が上杉討伐に出かけた背後で、挙兵しようとする石田三成。
友である大谷吉継は三成の元に駆けつける。
人望、身代、趨勢、全てにおいて家康のほうが勝ること、三成に勝ち目がないことを諄々と説く。
しかし三成は言う。
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正義は我らにある。
正しいものが敗れてはご政道は成り立たぬ
子供じみた考え方だと諌める刑部。
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わしにも家臣があり、守るべき領民がいる
そう言って三成に別れを告げ、敦賀の自領への岐路につく。
しかし!
彼は想い出していた。ある茶会でのこと、
ハンセン病を患っていた刑部が飲んだ後の茶を居並ぶ諸将は一人として口にしなかった。
病が移るのを怖れたのである。
このまま茶が残り、亭主の元に戻されたならば、大谷吉継、一生の恥となる。
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……致し方なし……
そう思ったとき、一人の男が平然と残された茶を飲み干した。
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石田三成だった。
彼は病が移る恐怖より、礼を欠き、名のある武将を辱めることを嫌ったのである。
誤解されやすく、自分の信じるところに恃むところが多すぎる男である。
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真の友だった。
三成のいる佐和山の城へ馬を帰す刑部。出迎えた三成に刑部は伝えた。
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この命くれてやる
共に死んでやろう
中学生のころ、ある先生に一人の尊敬できる師と、
二人の親友がいれば人生はすばらしいものだ、と聞いた。
偽り多き戦国時代、大谷刑部吉継がみせた命がけの友誼に感動してしまう……
『関ヶ原』お奨めの作品です!