石川さゆり・・・若い方には『天城越え』と『津軽海峡冬景色』の歌手といえばピンとくるかもしれない。
この石川さんの歌が近頃ますます味が出てきた気がしている。
なんて書くと、上から目線みたいで失礼な話なのだが、演歌に関しては、男女とも歌が上手い人が多いのだが、どうにも上手だけど物足りないという気持ちが残る。
例えば今売り出し中の鳥羽一郎さんのご子息、木村徹二さんは正直、歌そのものは鳥羽さんより上手い気がする。顔に至っては鳥羽さんなんか(鳥羽さん、鳥羽さんのファン、すいません)足元にも及ばないぐらいハンサムだ。でも聴きたくなるのは、私に関しては鳥羽さんの方だ。『兄弟船』『海の匂いのお母さん』『カサブランカ・グッバイ』・・・すげえ曲だ! 特に『兄弟船』は鳥羽さんだからこその歌だと思う。そんなふうに『歌の上手さ』=『魅力』にならないのが演歌、歌謡曲のおもしろさだろう。
wiki等を見ると、『演歌』という言葉の起源は明治時代の『演説歌』、政府批判を曲に載せて歌ったものだと書かれている。
私たちの感覚でいうとそれはロックや河内音頭の新聞詠みで、どうも今の『演歌』のイメージと異なる。
もう一つ大きな説が『艶歌』。
ギターの流しなどが歌っていたイメージなのだが、これが『演説歌』の略称であった『演歌』に置き代わり、「演じる歌」なので『演歌』という論理づけも生まれたとも云われている。
で、石川さんの歌だ。
このブログの最下部にペタリしたが、作詞作曲は加藤登紀子さん。演歌、歌謡曲のよさは「間」だと思う。前奏、間奏、歌詞と歌詞の間。この間にも歌は続いている。よく言われることだが「歌」である以上は歌詞がブチ・ブチ・切れるのはあまり適さない。年をとられた歌手になると、これは演歌や歌謡曲にかぎらず、一言一言歌詞を区切って歌われる方も少なくない。けれど休止符は休止符であり、それは声が途切れるのではなく、声を止めるのだという。
伸ばすところは伸ばし、止めることは止める、間をつくって情景が浮かぶ時間を生み出す。プロの歌手にはプロの技がある。
現代は個別化の時代だ。同じ居間にいても、それぞれがイヤフォンをして息子は息子が好きな歌を、娘は娘の好きな歌を、おかんはおかんの好きな歌を、親父は自分の部屋に閉じこもる・・・なんて家庭も少なくないだろう。
だからなかなか自分が聞いたことがないジャンルの歌には出会えない。
それを多くの人は「世代が違うから仕方がない」なんていうが、そんなわけない!
だって崩れ落ちるような紅葉を見れば、だれもが「ウワァーッ!」と驚嘆するし、夏の夜に小さな川の畔に蛍の光があればなんだかうれしくなる・・・満開の桜を見ればほとんどの人はなんだかウキウキするだろう。
若いから、年寄りだから、男だから、女だから、という区別をこえて、共感できることはいくらでもある。
音楽だけが年齢でジャンル分けされたり、棲み分けすると云う考え自体が押しつけではないだろうか。
まぁ、そんなわけで若い人もきてみてもらえたら、うれしいです。
2022年の曲です。石川さゆりさん『残雪』・・・。