ウクライナの歌姫『防人の詩』を歌う

ナターシャ・グジー、『防人の詩』を歌う Now Music-聴いてみて!-
ナターシャ・グジー、『防人の詩』収録CD

ウクライナ人歌手のナターシャ・グジーさんを知っておられるだろうか?
今日は彼女のヒット作を紹介したい。

ナターシャ・グジー
歌とパンドゥーラ『ナタリア2』

パンドゥーラというハープのような楽器の弾き語りで、日本語も達者。
日本の曲もたくさん歌っておられる。チェルノブイリ事故の時、日本に来られたことをきっかけに日本で活動をしてこられた。
彼女のCDを取扱いを始めて、15年ぐらいたつと思う。
もともとさだまさしの『防人の詩』が好きだったのだが、どうもさださんの歌い方が情感がありすぎて苦手で、他の歌手のカヴァーを探していた時、ナターシャさんバージョンを見つけた。

『防人の詩』は日露戦争を描いた映画『二百三高地』の主題歌として制作された。
日露戦争は、不凍港確保を国是とする帝政ロシアと、防波堤として中国東北部支配をめざす日本が激突した戦争だ。
最終的に、日本はロシアの拠点・旅順要塞を陥落させ、バルチック艦隊を日本海海戦で壊滅。
奉天会戦に辛うじて勝利をおさめ、有利な講話に持ち込んだとされる。
しかし当時の日本政府や軍部も国力差を嫌というほど理解しており、開戦前にアメリカに講和の仲介を事前依頼。
イギリスにも日英同盟に基づく側面援助を依頼していたことはあまり知られていない。
継戦能力に欠ける日本は緒戦で大勝利を得、短期決戦で戦争を集結する必要があった。
旅順要塞陥落に必要不可欠な二百三高地奪取は戦争終結への絶対条件でもあったのだ。

多くの日本人が死に、ロシア人も死んだ。
日本兵にも家族がいて、ロシア兵にも家族がいた。

主人公の小学校教師はロシア文学を大学で学んだ人だった。
ロシアと日本の文学的・音楽的交流は深い。
唱歌の『ペチカ』や『トロイカ』『カチューシャ』などは子供の頃歌った人も多いだろう。チャイコフスキーやムソグルスキー、ボロディン、ストラヴィンスキー・・・日本人が好きなクラシック作曲家にもロシア人は多い。
演劇好きなら『どん底』や『かもめ』『三人姉妹』も有名だ。日本とロシアの価値観は、政治と軍事が絡まない限り、けっこう近いのかもしれない。

彼は徴兵され、戦争に行くとき、黒板に書くのだ。
「美しい國日本、美しい國ロシア」
最後の最後、旅順要塞突入時に、彼は恐怖に怯え切ったロシア兵に殺される。そのロシア兵もほぼ同時に殺される。
彼の代わりに小学校教師となった婚約者は、その死の知らせを聞き、戦争中も大切に守り通した黒板の字を全て消し、泣き崩れます。

私がナターシャ・グジーさんの歌を、CDを売りたいと思ったのは、
彼女がどんな気持ちで『防人の詩』を歌われたか、感じたからだ。

けれど、そのウクライナがロシアの侵攻を受けた。もともとクリミア半島はロシアの長年の執念がこもった土地だ。
オスマントルコとのクリミア戦争は正に黒海の制海権を賭けた戦争だった。
戦争の原因は、ウクライナが核を放棄し、クリミア半島を領有したときに芽生えていたのかもしれない。

それでもウクライナとロシアは兄弟のような国だ。
ウクライナの人々はモスクワで学び、ロシアの人々もキーウ(キエフ)、ハルキウ(ハリコフ)で働かれていたはずだ。
机を並べて学び、一緒に汗をかいた人々が殺しあう。人間が鬼畜に落ちる瞬間だ。

私はここまでロシア、ロシアと書いてきたが、ロシア文化にはウクライナやアルメニア、タタールなど多様な文化が含まれている。
例えば作曲家のハチャトゥリャンはアルメニア人だし、ボルシチはもともとウクライナの家庭料理だ。ピロシキはタタールが発祥だ。ナポレオンを苦しめたコサック騎兵はウクライナからロシアの草原の人々だし、腰が痛くなるコサックダンスは日本でも人気だった。
はっきり言えば、諍いや反目があっても、ロシアとウクライナは戦争するべきではなかった。
両者の文化は一体であり、互いに殺し合うことは自らを殺すことに等しいのではないだろうか?

私はアホだから、解決法などはわからない。
でも私たちの国は、いくつもの文化を共有する人たちと戦争を起こさずにいてほしいと思う。
それが武力均衡でも、脅迫でも、経済的結びつきの強化でもなんでもいい。
血が流れてしまえば、なかなか元には戻せない。命は金では補えない。

もしよかったら、ナターシャ・グジーさんの『防人の詩』聴いてください。
きっと同じように感じる人もおられると思います。


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