どうすればCDを買ってもらえるか? 悩む毎日だが、趣向を変えて、
CDやDVDがないと、消費者はどんな不利益を被るのかと時折考えることがある。
考えているのが旧人類の小生、という問題点を差し引いても、けっこう難しい。
同世代に尋ねてみると、下記のような声が上がる。
A.物理メディアの方が安心
B.音質がCDの方がよい
C.コレクション的価値がある
D.ネット環境がなくても音楽が楽しめる。
「なるほど!」とは思うが、よくよく考えてみると、前提に「私たちにとっては・・・」という注意書きがつくことに気づく。
Aの物理メディア。パッケージ、フィジカルなんて言い方もあるが、形あるものに対する安心感は昭和世代の特徴かもしれない。
20代前半までの方なら、「形あるもの、終には壊れる」と宣うかもしれない。
Bの音質も確かに現状ではCDの方が音質はよい。
しかし音質は、録音媒体だけでなく、再生機器やイヤホンやスピーカーなどにも左右される。
ながら聴きも多い昨今では、こだわりがない人も多い。
今後の技術革新でCDの優位性が揺らぐ可能性もある。
Cのコレクション的価値に至っては本来の役割からかけ離れているし、Dのネット環境云々はお互いさまで、デッキがなければ、CDなんてただの害鳥よけにしかならない。
小生が現時点で、明らかにCDの優位性を認めるのは、やはりその使いやすさだ。
年齢差や生活スタイルをこえて、同じ音楽を楽しむ、共有しやすい、これはけっこう大きい。
近年で老若男女一緒に歌える歌というのは『世界にひとつだけの花』『涙そうそう』ぐらいだろう。
この2曲が年齢差をこえて浸透したのは、まず第一に紅白歌合戦。
次にそれに影響された歌番組やイベントで大トリの合唱に使用されたことだろう。
今、若い方は、音楽はスマホで聴くのが一般的だ。
それも高性能のイヤホンを用いるので、やたら大音響で聴く人以外は音は外には漏れない。
テレビの歌番組も減ったし、だいたい若い方はあまりテレビを見られないので、若手歌手はテレビに出ようとしない。
自分の作った音楽は聴いてほしいけど、ワーワーキャーキャー云われて自分の生活を邪魔されたくない、という考え方もある。
素敵な音楽や曲であっても世代間を超えて、楽しんでもらいにくくなっている。
(朝ドラの主題歌が救いだけど、年配の方にはいい曲だなと思っても歌手の名前が覚えられない人もいる)

たとえば、こんなシーンないのかもしれないが、孫が田舎のじいちゃんやばあちゃんに、
「これええ音楽やし、聴いてみ!」とメールにクラウドへのリンク添付して送信しても、
「どないせぇーちゅうんや!」と悲しい思いをさせてしまう。そんなときCDを渡して、
「これ、ぼくがいつも聞いてる歌やねん。ばあちゃん、聴いてみ」
って世代を超えて、音楽を懸け橋に川でけたら、素敵だな、なんておじさんは思うわけだ。
弊店の近くにコロナ期間中に四軒も大きなホテルができた。夕方を超えるとここの海外客がぶらりと寄ってくださる。
語学は苦手なのだが、達郎さんのアナログ見てるお客さんに、片言だけど
『Chiristmas Eve , You like Tatsuro Yamashita?』なんて尋ねると、黙って親指を立ててくれたりするし、宇多田のベストをみて、キャッキャッと喜んでくださるのを見ると、けっこう新鮮でうれしくなってくる。
言葉が通じない外国人とでさえ、これだけ楽しいなら、世代ぐらい超えられるんじゃないか、と思ったりするのだ。
昔、シャ乱Qのつんくさんがテレビで言っておられたが、『シングルベッド』が大ヒットしたとき、大好きな祖父が喜んでくれると思ったら、テンポが早くてカラオケで歌えへんといわたそうだ。
それでお爺さんでも歌えるようにと思って制作されたのがシャ乱Qの代名詞『ズルい女』だったという。
だれか思い切って米津健志さんやYOASOBIに、年配者も好きになれる歌謡曲を依頼してみたらどうだろうか?
彼らなら案外、今までにない新しい切り口の曲を作ってくれるかもしれない。
YouTubeやTikTokで、新しい才能が世に出やすくなってきた。
その才能がくさらずガンガン伸びれる下地づくり。
その一角にCDがまだ役に立てれば私たちも存在価値があるのだが・・・ウ~ン、むずかしい・・・かな(^^;